徒手空拳

――― 極真精神とは絶対的な強さを求める道 ―――

日本の国に道徳とか、武道精神とか、人のあり方、身の処し方の規範が失われて久しい。

格差とか、平等とか、規準のあいまいな言葉が氾濫し、一国を率いる総理大臣の言葉さえも、一貫性の乏しい日替わりメニューだ。

もはや言葉に責任とか、行動に責任とかという行為は、遠い昔話の類となってしまった。

他人を思いやり、自らの行動を律し「和」を重んじる日本人の美しい精神性は、神話の世界になった。

これから日本という国はどうなるのだろう…。どこへ行くのだろう。

「極真カラテは精神の文化である」

武道精神を以って、自己完結の道を模索する武道である。が、近頃、少し変である。

大会至上主義である。

本来、大会は自己検証の手段としてあった。しかし、最近は大会が「カラテ」となっている。だから、「カラテ」とは? と質問されても、答えに窮する道場生が多い。指導する人間にも明確な認識が不足しているのだろう。

何を以って「空手」の修業をしているのか?人それぞれに目的は違うけれども、少なくとも、道場において、貫かれた哲学は必要である。

「心、技、体」と武道の世界ではよく言われる言葉であるが、その「心、技、体」を、どのような方向で、どう具現していくのかがはっきりしない。というより、昔の人々には阿吽の呼吸で理解できていた事柄が、理解できない社会になっているのだ。

一つの事を考えさせない教育の果て、である。

インスタント、簡便さを重視するあまり、時間をかけて物事を考え、行うことが、格好悪いと見られる社会になっているからである。

極真カラテは、インスタントとは程遠い、時間をかけ、少しずつ、身体を作り、技を作り、心を練る武道である。つまり、インスタントとは対極にある武道文化である。

一つの基本、型に意味を見出し、呼吸を通じて骨太な精神性まで練り上げていく。

唯一絶対性を求めていく武道なのである。

絶対的な強さを求める道が極真精神である。

現時代の唯物性と対極にある精神性である。が、この極真精神の普及こそが、これからの日本を変えうる大きな力となり、支えとなる。

「これからの日本をどうする?」

この問いかけに、極真カラテを修業する武道家として、「戦え!戦え!闘い抜け!」と。まず内なる自己との闘いの中から、未来を切り開いてゆく強さと、精神を作り上げる。

自己の生き様を検証せよ!

風 雅遊