徒手空拳
――― 温故知新 ―――
〇 恥の文化と自己完結 〇
いやな世の中になってきた。この近年特にだ。非常識な行動や理解不能な事件ばかり起こる。
昔も当然あったのだと思う。それにしても、だ。
少なくとも、いい若者が年老いた老人のなけなしの貯えを、だまし取るなんてことは、聞いたことがなかった。
人々の心の貧困だろうか、それとも、獣に育てられた故か。
人間とて、それなりの規範を持った、最低限の人間に育てられなければ、人間には育たない。
狼に育てられれば、狼になるのだ。
だから、今の日本の現実は、教育の貧困。その一言に尽きる。
民主主義の何たるかを教えず、権利ばかり主張する人を育てた。
自由には責任があり、権利には義務がある。こんな単純な根本すら教えられていない。
今の日本社会は、昔の日本人が普通に持っていた良識や規範を失って、自己完結、自己責任を伴う民主主義、自由主義を、権利と自己主張のみと勘違いした、いびつな国になっている。
安倍元総理大臣の狙撃事件も、意味不明で少しもつじつまの合わない事件だ。
野党やマスコミも旧統一教会のカルト集団へと問題を変化させて、大事な狙撃事件の本質から逸脱している。
政界も、関係を必死に隠して火消しにやっきだ。大きな暗く黒い闇がありそうだ。
ただ、思うのは、あの警備のまずさだ。
「常任戦争」の意識すらない警備のゆるみは、意図的なのか。氣になるところだ。
今の日本社会の緩みや歪みが、アメリカの日本骨抜き政策の成果としたら、見事なものだ。
己の存在すら確立できぬ今の我々、それを見て笑っている世界の人々。
少なくとも、元来我々の祖先が持ち続けていた、「恥」の文化は失いたくないものだ。
武の道を歩く者にとって、「自己完結」「常在戦場」「恥」と云う日本の文化を守り継承していくのは、失われつつある日本の未来を守ること、創造していくことに他ならない。「温故知新」という言葉もあるではないか。
十年後、二十年後、三十年後、この国は存在しているのだろうか。
存在しているとしたらどんな国だろう。少なくとも人の住める国として存在できているのだろうか。今以上に混沌とした、人間の顔をした獣以下の存在としてではないのか、想像するに背に怖気を覚える。
わずかに救いなのは、まだ武の道があり、それを歩んでいる若者がいることだ。その小さな灯りを少しずつ大きくし、巨大なうねりにすれば救えるかも知れない。
スポーツではなく、武による自己修練の道を歩んでいる者が、一人でも多く出てくれることが、この日本の本質を継承し未来を創造してくれる。と、信じたい。
大濱道場の責務は重い。
風 雅遊