徒手空拳
――― 武道精神とは ―――
森羅万象、すべての物事は、永遠に続き変わらない、と多くの人々は思い込んでいる。真実に思えるこの思いは、実は人間の持つ傲りや勘違いにすぎない。この世にあるすべての物や思いは変化移りゆくものなのだ。時間という流れによって。
時間というものは考えれば考えるほどよく解らないが、古の人達は宗教や深い思索の中でこのことを理解していた。仏教では「無常」とか、「色即是空」とかいった言葉で表現している。だから変化しないという考えを持つこと自体が人間の愚かさなのだ。
人は生まれて死んで行く。その現実すら忘れて日々を送り、想定外だと言いながら、その当たり前のことを受け入れることが出来ない。我々武道を志する者は、その当たり前を当たり前と受けとめ、準備精進する。
平和ボケとよく言われる日本の国民の多くは、平和は憲法によって守られていると勘違いしているが、この75年の平和が憲法のみで守られたと本氣で思っているのだろうか。
憲法は、国民向けの精神や考え方である。諸外国は何をどう考えているのだろうか。現実は自国の利益のためには、相手国の主義や精神が、いかに平和を希求していようともおかまいなしだ。過去の歴史はそれを物語っている。
日本の75年の安寧は、平和憲法のみでなされたものではなく、むしろ、アメリカの傘の下にあったという事実を、もっと冷静に判断すべきだ。
見て観ないふり、解っていても知らないふり。本当に何も考えられないのか、考えることすら出来ないのか、日本社会の現実は暗い。
コロナ禍で、大きな変化が起きている現在、気候の変化や、地震などの自然災害などの地球環境の変化と、我々を取り巻く多くの変化は、何を人間に伝えようとしているのか。何事も変わらないという人間に何を問うているのか、考え行動すべきだ。
武道を追求する者として、敵を倒すのではなく、敵から我が身を守るという本質を、個から大きく世界中の個へ広げていく、その思いをもっと強く意識すべきだ。何のために稽古修行し、それを日々の生活の中で活かし生きるのか、修行を通じて求めていくことが大切だ。
日々向上する。このことの意義を忘れてはならない。今、我々人類は、地球という大宇宙の小さな存在の中で、悠久の存在であるべきことを忘れてはならない。「武道精神」とは、そういうものだ。
――― 大濱道場のすべての門下生に ―――
毎日毎日、空手で汗を流し、強くなることを夢みて道場に通う。その地道な日々の中で、きつい、つらい事ばかり続く稽古の中で、ふと立ち止まり、自分は何をしているのか?自分はどこを目指しているのかの迷いの中で、くじけそうになる自分を発見した時、考えてもらいたい。
自分の心が作り出す世界は、己をどんな存在にしたいのか?どんな人物になりたいのかを。
人は心によって動かされる。心が体を動かし、思考する。他人が何をどうしようが、自分自身が思ったことにより、自分の存在がある。いいことも、悪いこともすべてだ。
空手の稽古とて、そうだ。己の心が体を動かし、行動する。だから、何をどうしたいのか、じっくり考えて稽古に臨まなければならない。
「強くなりたい」という思いは、その心は、日々の稽古にきっと大きな力を与えてくれるはずだ。
忘れてはならないことは、自分は、何のために強くなりたいのかということのみだ。
風 雅遊