徒手空拳

――― 原点に還る ―――

ブラジル、リオでのオリンピックも終わり、広島の秋は、カープのリーグ優勝と、日本シリーズ敗退で始まった。夏にはオバマ米大統領の訪問もあり、広島が何かと話題の2016年である。そんな中、2020年東京オリンピックの追加種目に、いよいよ空手が加わることになった。関係者の努力が実った成果だが、残念なことにそこにはフルコンタクト競技は含まれていなかった。いわゆる伝統派と呼ばれる競技のみで行われる予定だ。

我々フルコンタクト空手は、故大山倍達師によって広められた極真空手を始まりとし、多くの諸派が生まれたが、世界では、空手はフルコンタクト空手が主流となりつつある。しかし、現実はオリンピックにはこの競技が入らなかったことで、我々の夢は断たれたのだ。

ただ空手という武道があるという広義での認識は、世界へと広がっていくであろうと思われる。

本来空手という武道が、スポーツの祭典であるオリンピックに名を連ねるということには疑問のあるところだが、空手という武道の啓蒙という点で、それはそれとしてあってもいいのではと考える。が、かつて柔道がそうであったように、本質が変えられ、武道性が失われると行った危惧はやはりある。本来素手で相手を倒すという本質が、ポイントだとか、たぶんそうだろうという仮想の勝負に変化していく可能性が大だと思う。真剣勝負の中身が、出来るだけ最低限の安全性の中で行われることが大切な要素なのだ。ただ、現在のフルコンタクト競技のあり方も、何が一番大切かということを抜きにして語られることの多さに、競技のあり方は再考されるべきだろう。

広島支部大濱道場では、『原点に還ろう』という意識を持って、武道としての本質、『空手とは?』という問いかけをしながら、空手道の中の競技という位置づけを念頭に置き、技と心とを別物にするのではなく、一体のものとしてハードとソフト共に向上させるべく日々精進を重ねて行っている。

ともすれば競技志向主義、競技こそが空手だと、誤解されぬように心しなければならない。

ともあれ、空手の武道性こそが、未来の日本の精神文化として再認識されんことを願うところである。

風雅 遊