徒手空拳

この徒手空拳の中で、十年前から言い続けてきたことが、少しずつ現実のこととなってきている。

誰もが、多かれ少なかれ感じていることだと思うが、地球規模での異常と、日本社会の異常さである。

言葉では「おかしい」と互いに言ってはみるものの、現実にはただ傍観しているだけで、対応する準備すら出来ていない。

そろそろ人類も終わりなのでは、滅亡へと秒読みに入ったな・・・と感じているのは、私だけではないだろう。

この世の中に永遠という言葉はあっても、現実にはそんなことが無いことぐらい、皆知っているし、古今東西歴史を通じて語られているはずである。

何ひとつ例外なく、形あるものは必ずこわれ、生あるものは必ず死を迎えるという現実は、地球的、宇宙的規模でも同じことが起こりうるということである。

ということは、今、目の前にある地球的社会的異常は、すでに秒読みに入った人類の滅亡に他ならない。

では、座して死を待つのか、それとも戦うのかという二者選択を考えたとき、当然結論は戦うしかないのである。

地球が、人類が、日本が、己が、よりよく生きていくために、今は何をすべきか・・・。原点に還るべきである。『生きる』とはどういうことなのか、その中で、周囲にある自分を生かしたもうている全ての事柄を見つめ直し、己と共に歩んでいけるものを、一つ一つ作り直していく作業こそが、これからの地球を人類を救う一歩となるのである。

不可能だ、無理だという言葉を捨てよう。どうしたら可能か、出来るのかを常に考えるべきである。

我々武道家は、武の修行にそのことを学ぶ。まず出来ることを積み上げる。その結果が、常人にできぬ技となり精神となるのである。そして、最後まであきらめぬ心の強さを養い、作るのである。

つまり、本能的に、あきらめたときが終わりだと知るからである。このことを、武を通じての修行の過程で知らされるのである。

なぜなら、戦うということはすべてを賭しての総合力の勝負だからである。

体力、知力、精神力すべてが含まれた中で勝負が決せられ、負ければ己のすべてを失うのだ。その厳しさこそ、生をどうとらえ、いかにいきるのかという人間の命題の追及にほかならない。

人は、与えられた『生』をどう生きるかを常に追い求める。そして、心の安寧を得る。

武はその生き方を創造する手段である。

カラテは、これからの地球と人類を救い得る一つの手段となるかも知れない。だとしたら、小さなことながら、声を大にしてカラテの可能性を語り続けたい。

風 雅遊