徒手空拳

――― 心が身体を動かす! ―――

この地球上に住む人たちはどうしたんでしょうか?

多くの人々が感じている疑問や不安は、この数年高まるばかりです。たとえば、イギリスのEU離脱やそれに伴うヨーロッパの緊張や混乱。人口問題につながる移民問題や宗教問題。経済の格差や貿易戦争。約束を守らない国家や人々。

人間という動物は何と愚かな存在なのか?

多くの人々が居れば、それぞれ双方に言い分があり、思惑もある。守られて然る者が守られない現実がある。

今の日本社会も同様である。親殺しや子殺し、虐待。何とも理解不能の無差別殺人やテレビ・新聞の無責任な報道。被害者の人権より犯罪者の人権を守る多くのマスコミ。誰におもねっているのか国の過剰な規制や配慮。数え上げればきりがない。

我々は何を信じ、誰を信じればいいのか?言葉もない。

もはや、自分を守るのは自分しかない。日本人の精神性は「平和ボケ」と呼ばれているように、誰かが助けてくれる。守ってくれる。手を差し伸べてくれる。といった他に依存する、期待するという主体性のない精神だ。もちろん、これは傾向であって、すべてがそうだと言う訳ではない。日本人の中にも現状を憂い、いわゆる主体的に生きようとしている人も多くいる。

我々武道家もその一人だ。肉体を極限まで鍛え、その肉体を支える精神を磨くという修錬を積み、そして、その先にある世界を求道する。つまり、不動の原理原則を見つけようと日々鍛錬するのだ。それは、日常の生活の中にこそあるべき世界で、修行僧のように、一切の環境を捨てるということではない。普段の生活の中で戦うという前提で身体を作り、技を覚え壁を乗り越えることにより精神性を養うということだ。一歩一歩階段を昇るように前進する。そこに肉体の向上と精神の向上が生まれる。

「空手は自己向上の手段である」という私の主張はここから来ている。だからこそ日常の中に在るべきなのだ。そして、人間の生というものの本質を探す。導かれた答えは「呼吸」で息と生きという言葉の意味を感じるのだ。そして「氣」を感じ深く思索の中に入り、自己の生を自覚する。

中村天風師の「心が身体を動かす」という言葉を知った時に、心のあり方こそが人生を決めることを知った。それは何も思いもしなかった自分の生活を徐々に変化させた。空手の本質を深く考えるようになり、日常の生活の中に武を求めるという考えに至った。呼吸法をして身体を動かし、意識を集中する。すると見えてくる世界がある。

世界の人々が武道を学び、自己修練をしたなら、この世界から争い事は無くなるのではないか?

戦う為の武の本質は、実はそこにあるのではないか。ならば、まだまだ未来には希望がある。武道を通じて救える社会がある。

少しずつ周りの人々と武を語り、行動することが混沌とした現代社会を変えることになると信じたい。

「心が身体を動かす!」

風 雅遊