徒手空拳

――― ただ目線を上げてひたすらに ―――

「天災は忘れた頃にやって来る」というのは本当である。その上、人災が重なると、どうも途方に暮れてしまう。東北地方の方々に心から無常を思わずにはいられない。

世界から多くの人々の支援が送られたが、どれもこれも皆、人間を信じてもいいのではないかという証明であったような気がする。

しかし、日本のリーダーである国会議員の特に首相の迷走ぶりは国民にとって本当に不幸なことであり、不条理でもあった。だが、よくよく考えてみればそんな人間に日本の舵取りを任せたのは、我々一人一人の国民であることも事実だ。我々が投じた一票により選んだ人であることを忘れてはならない。

今我々は大きな与えられた試練をどう受け止め、どう克服し未来へつないでいくのか、国民のすべてが真剣に考え、日本の進んでゆく方向を模索し行動し、安心して日々が送れる国を創りあげる必要がある。それが過去と未来の中心にいる自分たちの使命である。

人生100年を生きたとしても、36500日。老いたと嘆いてもまだたったの60年、21900日にすぎない。が、一日一日の積み重ねの2万日余りである。年をとっても戦える空手を探して10余年、3650日である。その中に集約された一つの答えが、今日を一生懸命戦うという事である。単純にして明快な根本であるが、ともすれば失念してしまう事である。

失われつつある武道精神を伝える使命を日々の積み重ねの中で磨き、少し目線を上げて進んでゆく。その先に何が見え何が待っていようとも、少し上を向くことが、この混沌とした社会を迷うことなく歩いてゆく秘訣である。

生きることにこれが正解だという答えはない。ただひたすらに自分の信じた道を歩んでいく。

たかが3万日余りじゃあないか。わが人生なり、思うがままに生き抜けよ!

 

思いきりナルシスティックに物語を創る

 

「日暮れて道遠し」昔の人はよくもまあこんな言葉を残したものだ。

21900日を生きて、実際のところ痛感している。

足の筋を伸ばして開脚が思うように出来ぬ悶々とした日々から取り組みを始めた柔軟体操。なかなか結果が出ず向上しない。理想の身体を作りたいと取り組んではじめた様々なこと。思わず昔を思いはせてしまう、こんなはずではなかった。

陶芸も、ギターも、あれこれやりすぎか?

結果の出せぬ毎日に「う~ん」まあ、どの世界も深いのに、色気が多すぎるのかも・・・・。でも、ステキに年をとりたい。昨年の自分より、今日、明日の自分はちょっとでいいから伸びていたいし、自分探しの旅。それが人生と思うから。思い切りナルシスティックに物語を創る。楽しみつつ!

風 雅遊