徒手空拳
993日、何の事かと言えば、『千日快歩行』を始めて、2009年8月17日の今日で、993日目なのである。来週の月曜日、8月24日の千日まであと7日。やっと頂上が見え始めた。
毎日一時間、何があろうと歩く。と、決めたのは2006年11月29日(水)。理由は自分でもあまり記憶が無いが、比叡山延暦寺の酒井雄哉大阿闍梨の話を聞いたのが、一つの源だったことは間違いない。というより、そのものだったかも知れない。
酒井大阿闍梨は、『千日回峰行』という修業を2回行なった人物として知られるが、
「どうして千日回峰行をやろうと思われたのですか?」
という問いに、
「何もすることが無かったからです」
と、たんたんと答えられたのが印象的だった。また、
「そんな終わった済んだ話より、これからのことを話しましょう」
という言葉も、心に残った。
何のことない雑多な日々が過ぎていくその中で、何か、自分の心が求めていた世界がそこにあるような気がした。
そんなある日、一日40kmと言わないまでも、せめて一時間、そのかわり毎日歩く。そう決めた。
そして『千日回峰行』ならぬ『千日快歩行』と名付けたその『行』の満願まで、残すこと7日、毎日、毎日歩くことによって、何か変わったのかなあと、考えてみる。
一番は、健康だったんだなあということ。それから、数字。自分が生まれて、今日まで何日生きた? 考えたら、百歳まで生きても36500日。五十歳で18250日。千日の重さが少しは理解できた。
酒井大阿闍梨は言う、「一日一生」特別なことではなく、今を一生懸命生きろ、と。
今日一時間歩く。その毎日の積み重ねが、変わらない何かを変える。毎日、基本やって、型やって、組手して、何が目的で、どこへ行くのかもわからないまま汗を流し、勝った負けたと一喜一憂しながらの空手修業。
どこか満たされぬ心が、たった一つのことを続けることの出来る幸せが、武の道に通じていること、やっと気付きました。
風 雅遊